アフリカ旅行の道祖神

アルジェリアの旅行情報

アルジェリア概要
地中海世界とサハラ、2つの顔を持つ歴史ある国
北アフリカのマグリブに位置し、北は地中海に面し、東西南はチュニジア、リビア、ニジェール、マリ、モーリタニア、モロッコと国境を接する、アフリカ大陸最大、世界でも10位の面積を持つ広大な国です。
紀元前のカルタゴにさかのぼる歴史を持ち、土着のベルベル人によるヌミディア王国、ローマ属州化、イスラムとアラブの到来、イスラムの各王朝時代、オスマントルコの属州化、フランス植民地時代、そして100万人に及ぶ死者を出した血みどろの対仏独立戦争(アルジェリア戦争)を経て1963年に独立。独立後、社会主義国として歩み始めましたが、クーデターや隣国との紛争、内戦、イスラム原理主義過激派によるテロの頻発などを経験、2010-2011年には「アラブの春」の影響を受けた民主化要求の波を受けましたが、散発する「イスラーム・マグリブ地域のアル=カーイダ組織」によるテロを除き、国内状況は徐々に沈静化に向かっています。
観光的な見地でいえば、遺跡、町並み、オアシス、砂漠、岩壁画どれをとっても一級品の見所に溢れていますが、現在の国内情勢を考えると自由に・安全に動けないのが残念です。まず遺跡では、地中海沿いにあるカルタゴ時代に建設されたティパサや、やや内陸に入ったローマ遺跡のティムガッド、更に標高900mの尾根に建設されたローマ都市ジェミラの遺跡景観は秀逸で、ともに世界遺産に指定されています。イスラム時代の遺跡・建造物としては、10~11世紀のサハラ交易時代に建設されたベニ・ハマッドの要塞やオアシスの都市ガルダイア近郊のムザブの谷に建設された5つの要塞都市が見所で、その都市構想、地下灌漑水路、都市を守る城壁等今に通じる見事な建築技術を残しています。
また、リビア国境に伸びるタッシリ・ナジェール台地に広がる岩絵・線刻画群の数々は、さながらサハラの野外美術館の趣があります。加えて、侵食された奇岩が屹立するさまは、自然の造形物以上の凄さを感じずにはいられません。
町歩きで面白いのは、やはりアルジェ市内とカミュの小説「異邦人」で名高いオランの町。7つの丘で知られるオアシスの町ガルダイア、更に南部の高原の町タマンラセットでしょうか。フランス風カフェで街往く人々を見やるのも面白いです。
「治安面で問題アリ」とイメージされがちなアルジェリアですが、地元っ子の笑顔をみるにつけ、日本での情報は…?と考えざるを得ません。可愛いオアシスの町としては、南部のアイン・サラーがお勧めです。大砂丘群ももちろん、一級品以上の見ごたえのものが幾つかあります。旅行者が近づきやすい、ベニアベス周辺、エルゴレア周辺、ジャネット周辺の砂丘群のどれかを是非訪問してみてください。
アルジェリアの国情報
正式名称 アルジェリア民主人民共和国 / People's Democratic Republic of Algeria
元首 アブデルマジド・テブン大統領 / Abdelmadjid Tebboune
人口 約4,220万人(2018年)
首都 アルジェ / Alger
民族グループ アラブ人(80%)、ベルベル人(19%)、その他(1%)
言語 アラビア語(公用語・国語)、ベルベル語(公用語・国語)、フランス語(国民の間で広く流通)
宗教 イスラム教(スンニ派)
面積 2,380,000㎢(内、砂漠地帯約200万平方キロメートル)(アフリカ第1位)
ビザ ビザ(査証)について』のページをご覧ください。
電気・電圧 127/220V-50Hz:A/B3/E (マルチタイプがオススメです)
通貨 アルジェリア・ディナール (DZD)
1DZD = 0.90円 ※2020年3月現在
国旗
アルジェリアの国旗
イスラムのシンボルである三日月と星、アルジェリアでは幸運のシンボルと考えられている。英雄メッサリ・ハジが考案した。緑は繁栄、白は平和、赤は勇者達の血の色を表しています。
気候 北部海岸地帯は温暖な地中海性気候で、5~9月が乾季、10月~4月が雨季。年降水量は600~800mm程度。北部アトラス山脈の北側やオアシスにわずかに耕地があるが、大部分は砂漠や岩山。内陸は広大なサハラ砂漠で国土の約88%を占める。アトラス山脈以南の内陸高原はステップ気候、南部は砂漠気候になる。
交通事情 国土が広いので、国内の足は飛行機が主となります。国営のエアー・アルジェーの他、民営の会社が数社ありますが、まだ力不足の気がします。国営にしても予約システムは、信頼性に欠けるので、なるべく現地の業者に予約や発券も依頼した方が良いでしょう。大都市間を結ぶ長距離バスも運行されています。 鉄道網は、地中海沿岸の海岸部とアトラスの山中に入る路線があります。但し、治安が回復するまで、国内の移動に地上の輸送機関の使用は、お勧め出来ません。アルジェ市内は、バスとタクシーが、一般的です。
電話のかけ方
日本からかける場合
国際電話認識番号+213+市外局番(0を取る)+電話番号
日本にかける場合
国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号
アルジェリアへの行き方
メイン都市はアルジェ
1. 中東ルート
  • エミレーツ航空 ドバイ経由で毎日運航。
  • カタール航空 ドーハ経由で毎日運航。
2. 欧州ルート
  • ターキッシュエアラインズ イスタンブール経由で週6便運航。
  • アリタリア航空 ローマ経由で週6便運航。
  • エールフランス パリ経由で毎日運航。
2020.3月現在

アルジェリアの見どころ

アルジェ
アルジェリアの首都で、同国最大の都市であるアルジェの歴史は、紀元前12世紀のフェニキア時代に遡ります。以来、ローマ、ヴァンダル、東ローマ、アラブ人とあるじを変え、現在のアルジェの基礎が作られたのは、10世紀にこの地を支配したベルベル人のズイール朝時代。“島”を意味する「アル・ジャザーイル」が現在のアルジェの名の由来となっています。現在のアルジェは、海沿いのコルニッシュ通り沿いにフランス植民地時代の街並みが立ち並び、裏の山手側には「カスバ」が広がっています。カスバは現存するアルジェの最も古い地区で、丘の斜面に迷路の様に入り組んだ、城塞のような都市が作られ始めたのは、16世紀に赴任してきたオスマントルコのパシャ(総督)の時代で、他のイスラム都市では「メディナ(旧市街)」に相当します。アルジェリアが1830年にフランスの植民地となった後、大部分はヨーロッパ風の町並みを作るために取り壊されましたが、第二次大戦後から1962年に独立するまで、この一帯がパルチザン(対仏地下抵抗運動)による独立の戦いの「隠れ家」となりました。映画「アルジェの戦い」はここが舞台です。カルタゴの時代から、ローマ、ビザンツ帝国、ウマイヤ朝、オスマントルコ、フランスと、地中海の要衝であったアルジェは数々の国の支配下、影響下に入りながらも、したたかに独自性を保って生きながらえてきた街は、数々の国の文化の影響が重層的に認められる、文化的にも興味深い都市でもあります。1992年に世界遺産に指定されて以降、伝統的なカスバの町並みの保存に力が注がれ、昔ながらの住居の復旧が進められています。

オラン
アルジェリアは、アラブ音楽と古来よりのベルベル人の民謡を融合させた音楽『ライ』の発祥の地であり、オランがその中心地(発祥地)として有名です。アラブ風建築の上に、かつて統治していた、スペイン、フランスによって付け加えられたオランの洗練された街並み。パリなどと同様オープンエアのカフェが多く、さんさんと照りつける陽光とサラサラと音を立てて降り注ぐサハラの砂の音を聞きながらカフェでコーヒーを飲める贅沢な町です。こんな昼の顔と打って変わって、夜のオランはナイトクラブのステージが賑わう街でもあり、ショルバ(アルジェリア風の魚スープ。美味!)などでお腹を満たしたあと、ワインを飲みつつステージで哀愁漂うライ・シンガーの歌声を聴く、こんな休日がお勧めです。ライ・ミュージックがここから生まれたように、イスラム主義運動の潮流とは別の若者たちの意識が、このアルジェリア第2の都市に独特の自由な雰囲気を与え、他の都市と違って街中にはバーやクラブがあり、酒を売る店も多く、ディナーにライ・ミュージックを聞かせるホテルもあります。こうした点で、コンスタンティーヌやアルジェとは異なる情景を見ることができます。

ギリシア・ローマ時代の遺跡(世界遺産)
●ティパサ
地中海沿岸に位置するティパサ遺跡は、紀元前7世紀にこの町を建設したフェニキア人によって「市の広場」と呼ばれていました。現在の町の名前「ティパサ」はアラビア語で「荒廃した都市」を意味しています。ローマとのポエニ戦争の後、ローマの支配下に入り、クラウディウス帝による軍事拠点化から、都市に発展しました。都市は海を見下ろす3つの丘の上に建てられましたが、中央の丘に建てられた家々の痕跡はほとんど残っていません。かわりに、西の丘の大バシリカとアレクサンデル大聖堂、東の丘の聖サルサ大聖堂の3つの教会堂、2つの墓地、浴場、劇場、円形闘技場などが保存状態よく残されています。
●ジェミラ
アラビア語で「美しいもの」を意味する名を持つジェミラは、元々ローマによってクイクルムの名で1世紀に建てられた植民都市で、当初は兵士たちの居住地でしたが、後には市場町に発展。町の発展は主に穀物やオリーブなどの農作物によって支えられていたようです。ローマ帝国の没落後、都市は緩やかに廃れ、5世紀にヴァンダル人によって破壊された後、一時は東ローマ帝国時代により復興されましたが長くは続かず、6世紀末には廃墟と化していました。遺跡は、山の地形に合わせてローマ建築が持ち込まれた点に特色があり、カピトリウム神殿、セプテミウス・セウェルス帝の神殿、フォーラム、劇場、2つの集会場、寺院、バシリカ、アーチ、街路、住居群などが残り、現在ではアルジェリアで最も美しい遺跡とされています。
●ティムガッド
ローマ帝国の退役軍人達が数多く植民したことに始まり、古くはタムガスという名前で呼ばれていた都市で、紀元2世紀のトラヤヌス帝時代に建設が始まり、碁盤目状に町は整備され、典型的なローマ都市の構造に設計され、現在はローマ劇場、4つの公衆浴場や図書館、バシリカ、ユピテル神殿などが残されています。5世紀のヴァンダルの侵略によって都市は没落、6世紀には東ローマによって再建されましたが、7世紀にはベルベル人の侵攻を受け、放棄されました。その後、8世紀に起きたとされる地震で砂に埋もれ、人が寄り付かなくなっており、結果的に砂に埋もれた遺跡群は1880年にフランスの考古学者によって発掘されるまで新たな都市化の波を被ることがなく、良好な保存状態を保ち、「アフリカのポンペイ」と呼ばれています。

イスラムの遺跡/べニ・ハマッドの城塞
アルジェリアのムシラにある世界遺産の考古遺跡。城塞は、ホドナの山岳地帯の標高1000m以上のところにあり、アルジェを創建したブルッギン・イブン・ジリの息子でハマッド朝の創始者ハマッド・イブン・ブルッギンが1007年に建造したハマッド朝の首都です。都市は交易の中継都市として北アフリカで最も栄えた町のひとつになりましたが、1090年にエジプトのファーティマ朝から送り込まれたバヌーヒラール族(上エジプト出身のベドウィン)の北アフリカ侵入によって廃れ、1152年にはムワッヒド朝によって一部が破壊されました。この破壊を生き延びた城壁、モスク、ミナレット、宮殿群などが残されています。特にモスクはアルジェリアで知られているものとして有数の大きさを誇り、13の本堂と8つの梁間のある巨大礼拝堂があり、高さ20mのミナレットは、セビリャ大聖堂のヒラルダの塔に並ぶといわれています。発掘で出土した陶器類や、宝石装飾品類、貨幣類などは、アルジェやコンスタンティーヌの博物館に展示されています。

ガルダイアとムザブの谷
ムザブは、アルジェの南方600kmのアルジェリア中部ガルダイア県にある地方名。標高300m~800mの岩だらけの高原で、白亜紀に形成された地形には、黒や褐色の岩石が散らばり、ワジ(枯れ川)がこの高原を北西から南東へと貫いています。ムザブの最初の住人は新石器時代にまで遡る、洞穴に暮らす人々だったといわれ、以来25の町々が現れては消えていきました。9世紀以降、無人だったムザブを、ムザブ人とも呼ばれるイバード派のベルベル人たちが避難所として利用していました。18世紀以降にはナツメヤシ、塩、象牙、武器、奴隷などを取引するサハラ交易キャラバンの寄留地として重要さを増していき、ムザブ人たちは北方のアルジェやチュニスといった街に居を構え、商才を発揮するようになります。フランスの侵入後、1873年にムザブの7都市連合はフランスとの間に自治に関する条約を締結しますが、遊牧民の度重なる侵入の結果、1882年に完全なフランスの植民地下に入り、灌漑システムなどが整備されました。独立を勝ち取った後は、現在もガルダイアを中心に南部アルジェリアの交易ルートの要衝となっています。中心地ガルダイアは、「サハラの宝石」と称えられる非常に美しいオアシスで、モスクのミナレットを中心に、パステルカラーの家々がピラミッド型に築かれ、その都市計画はフランスの建築家ル・コルビジェに大絶賛されました(世界遺産)。

ティミムーン
アルジェリア西部、グラン・エルグ・オキシデンタル(西方大砂丘群)の辺に位置する小さなオアシスで、町は高台の上に、塩湖とその先の大砂丘地帯を見下ろすように位置しています。昔、マリなどから連れてこられた奴隷の市場跡、スーダン様式の門、スーダン様式の霊廟やモスク、クサールと呼ばれるかつての城壁都市が見られますが、そのほぼ全てがヤシの木の骨組みと赤い泥とレンガで作られ、町全体が赤い色をしているため、『赤いオアシス』とも呼ばれています。アルジェリアのオアシスをひとつだけ訪ねるとするならここ、と言われるほど、昔の面影を色濃く残しています。

タッシリ・ナジェールの岩画と岩画トレッキング
かつてサハラが緑であった先史時代に描かれ、世界遺産にも指定された岩画や線刻画の数々・・・。岩画トレックの標準行程は4泊5日でセファールまで向かう形となっています。もちろん、時間の無い方や健脚向けには、3泊4日の速攻日程やセファールまで行かず、途中で引き返す2泊3日の省略日程も可能です(要は、訪問者のスケジュール次第です)。逆に時間を割ける方には、別方向にあるジャバレンへの岩画トレックもお勧めです(+1泊2日以上必要)。歩きつかれた時、歩行困難になったときでも、助けてもらえるシステムは、未だ完備されていません。ガイド自身や同行のロバの背に乗ることも可能かもしれませんが、通常、ロバ自身もかなり“荷重”の状態(特に行きの登攀時)ですので、何処まで頼れるかはご自身の足腰や体調の管理と共に、自力で登り・自力で下る心構えが、必要かつ重要になってきます。

タッシリ・ホガー
高原の町タマンラセットから東南部、ニジェール国境にかけての広い地域をタッシリ・ホガーと呼ばれています。この付近の200万年昔の火山噴火の名残は、その後の浸食、風化など自然力により見事なオブジェを作り上げました。大小の奇岩、幾重もの砂丘群や砂溜り、緑の時代の川筋のワジ・・・。サハラの野外美術館と呼ぶに相応しい風景が広がっています。

アセックラム高原
タマンラセットからの石、岩、礫の道を約90km走ると、アセックラム高原に到着します。周囲を鋭く突き出た峰々に囲まれ、岩肌の色も独特です。荒涼とした高原のさらに高い丘にフランス人シャルル・ド・フーコー神父が建てた小さな境界があります。トゥアレグ人を愛し、彼らの文化や生活・風俗を学び、独力でトゥアレグ語の辞書まで編纂した(キリスト教の布教のための滞在でしたが、それには失敗し、トゥアレグの少年に殺害され最期を迎えます)彼の意思を継ぎ、今でも何人かの修道士がここで学んでいます。この辺りは、標高2500mに及び、夜ともなるとかなり冷え込みますが、澄んだ星空は一級品。さらに教会からの夕陽・朝日もサハラで最も美しいといわれています。

食事・お土産
地中海沿岸地域では、アルジェリア風フランス料理やオリーブ油を使ったサラダ、魚も食べる所があります。イスラム国なので、アラブ料理がメインになります。肉は、やはり羊が一番ポピュラー、まれにラクダ肉、鶏肉。主食には、パスタ類をよく使いますが、ピラフ等にして米も食べます。代表料理は、ショルバというスープとクスクス。南部のトゥアレグ人は、砂のオーブンで焼いたパンをちぎり、シチューに入れて料理するタゲラをよく食べます。いずれも、味付けのベースにトマトを多用するのが特徴です。
アルジェリアを訪問するツアー
3件のツアーが見つかりました。
10/10(木)、11/14(木)、12/26(木)他 出発
数々の壁画に、いにしえのサハラを想う
10/9(水)、10/30(水)、12/25(水)他 出発
奇岩と砂が作り上げ、岩絵が彩る驚嘆の風景を訪ねて
10/3(木)、11/14(木)、12/26(木)他 出発
西方大砂丘群の縁に点在するオアシスを訪ねて、アルジェリア中部を周遊
株式会社 道祖神
〒141-0031 東京都品川区西五反田7-23-1 第3TOCビル6階
営業時間 月~金 9:30~18:30(定休日:土・日・祝日・年末年始)
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