アフリカ旅行の道祖神

ギニアの旅行情報

ギニア概要
古くはガーナ王国、マリ王国の領土、18世紀には北方から移ってきたフルベの人々がイスラム化しフラニ王国(フータ・ジャロン王国)を建国。16世紀のヨーロッパ人の入植以来、徐々に力を強めるヨーロッパ(主にフランス)に対し、1878年にはサモリ・トゥーレかサモリ帝国を建国して対抗するもフランスの前に屈し、1890年フランス領ギニアが成立、その後現セネガルのサン・ルイを首都とするフランス領西アフリカに併合されました。約60年のフランス支配の間、1947年にはギニア民主党が結成され、書記長には国民的英雄サモリ・トゥーレの曽孫セク・トゥーレが就任。1958年、住民投票により他の植民地がフランスの共同体内の自治共和国となった中で、唯一完全独立の道を選びました。その際の初代大統領となったセク・トゥーレの言葉、「隷属の下での豊かさよりも、自由のもとでの貧困を選ぶ」はあまりにも有名です。
一方的な独立にフランスは反発、ギニアの公共施設を破壊し、国の重要資料のほとんどを本国に持ち去ってしまいました。そのため、セク・トゥーレは当時の共産圏の国々に接近せざるを得ず、中国型社会主義路線をとり人民公社に影響を受けた地方組織が作られていきますが、1977年物資の不足などから暴動が起こり、国内政策は自由化政策に変わっていきます。その後クーデターの後、複数政党制による大統領選へ。2代大統領のコンテ大統領の死去に伴って政権も不安定化し、無血クーデターにより軍人のカマラ大尉が暫定大統領に就任。その後も大統領襲撃事件を数度経験し、現在はアルファ・コナテ大統領が政権を運営しているものの、強い権限を持つ軍による襲撃事件も発生しており、依然政治的には不安定な状況が続いています。
産業としては、独立時に経済を支えていたバナナ、パイナップル、コーヒー、ピーナッツ、パーム油などの農産品の輸出から、全世界の3分の1の埋蔵量を占め、世界第2位の産出量を誇るボーキサイト、その他金やダイヤモンドなどの鉱業とその輸出に移ってきています。
●トピック=ギニアの金
その昔、サハラを越えヨーロッパに運ばれ、ベルサイユ宮殿の黄金の間に使われた金はギニアの山地で取れたものでした。ニジェール川を舟でマリのトンブクトゥへ。そこでラクダのキャラバンに積み込まれ広大なサハラを越えてヨーロッパへと運ばれました。そして、ヨーロッパ人はこの金を求めて、黄金都市トンブクトゥを目指したのでした。
ギニアの国情報
正式名称 ギニア共和国 / Republic of Guinea
元首 アルファ・コンデ大統領 / Alpha Condé
人口 約1,241万人(2018年)
首都 コナクリ / Conakry
民族グループ マリンケ(30%)、プル(30%)、スースー(16%)等約20グループ
言語 フランス語、各民族語(マリンケ、プル、スースー)
宗教 イスラム教(90%)、伝統的宗教、キリスト教
面積 245,857㎢ (本州222,500㎢よりやや大きい)
ビザ ビザ(査証)について』のページをご覧ください。
電気・電圧 220V-50Hz:B/C (マルチタイプがオススメです)
通貨 ギニア・フラン(GNF)
1GNF = 0.01円 ※2017年2月現在
国旗
ギニアの国旗
汎アフリカ色を使用。赤は労働と献身、黄色は正義と金、緑は農業と団結を表している。
気候 大西洋に面した沿岸部は高温多湿の熱帯雨林気候で、内陸部はやや気温が低く乾燥したサバナ気候。 1~4月の乾季にはほとんど雨が降らず、逆に6~9月の雨季には3000mmを越える雨量があり、西アフリカの給水塔・水瓶といわれるほど。 サイクロンはないが、雨期の最盛期には雷雨の発達により突風が吹くこともある。
交通事情 首都コナクリより国内の主な町まで長距離・ミニバスが出ています。 その他ブッシュタクシーといわれる民間経営のミニバスもありますが、運行時間等は不確実、乗客が一杯にならないと走り出さないことが多いです。 また、フランス製プジョー504sによる、エクスプレス、通称プジョーサービスなども多いですが、乗用車に9人乗せ、猛スピードで走るので事故も多いのです。
電話のかけ方
日本からかける場合
国際電話認識番号+224+市外局番(0を取る)+電話番号
日本にかける場合
国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号
ギニアへの行き方
空路の玄関口はコナクリ
1. 中東ルート
  • エミレーツ航空 ドバイ経由で毎日運航。
2. 北アフリカルート
  • モロッコのカサブランカより週6便運航。
2. ヨーロッパルート
  • ブリュッセルより週3便運航。
2018.4月現在

ギニアの見どころ

コナクリ
旅行シーズンは乾季の続く、11月から、ハルマッタンの始まる2月までがベスト。砂州の突き出た半島に出来た首都コナクリには民族楽器や木堀彫刻の充実した国立博物館、サウジアラビアが建設したグランドモスク、グランドマルシェなどの見所がある。

ママディ・ケイタとギニアの音楽
ジャンベはマリンケ族やバンバラ族など、ギニア共和国を含む西アフリカの民族の伝統打楽器。ジェンベの達人は、民族の歴史を語ることができ、そのリズムやサウンドで病気を癒し、人はもちろん、自然の精霊たちとジェンベを通して会話することができると云われています。 そんなジェンベの達人を「ジャンベ・フォラ」と呼びます。現在でも人々から敬われているママディ・ケイタ氏は、その称号を持つ、ジェンベの神様的存在。自身が背負う伝統の普及のため、ヨーロッパやアメリカなどの国々を始め日本にもジェンベスクールを設立、何度も来日し、ワークショップ、コンサートを開いています。現在も各国で活動を続けるママディ・ケイタ氏は広く世界的評価を受け「キング・オブ・マンディンカ」と呼ばれています。マンディンカとはマンディングとも呼ばれ、ギニア、マリ、コートジボアール、セネガル、ブルキナファソ一帯に栄えていた帝国の名称です。ギニアは今でこそセネガルやマリに西アフリカ一の音楽大国の地位を奪われてしまいましたが、アフリカに西洋のポピュラー音楽を導入し、逆にヨーロッパにアフリカの音を知らしめた元祖音楽大国でした。ギニアにおいて音楽を始めとする文化が保護されたのは、独立当時のセク・トゥーレ大統領の推し進めた「文化革命」としての民族芸能教育が、国民には義務として課された結果だったといえるでしょう。ギニアの音楽は今現在第一線で活躍するアフリカ各国のミュージシャンにも多大な影響を与えたのです。

フータ・ジャロン山地
一般的な観光の見所に乏しいギニアですが、『西アフリカのスイス』とも称されるフータ・ジャロン山地は見所の一つ。主に欧米から観光客がハイキングなどの目的で訪れています。山地は、熱帯雨林とサバンナを分ける、かつては独立国だった地域で、西アフリカの3つの大河、ガンビア川、セネガル川、ニジェール川の源流も近くにあります。フーグンバやティンボにはイスラム王国だった頃の名残があり、伝統的な茅葺建築が印象的です。

ニンバ山
ニンバ山はギニア共和国東部、コートジボワール及びリベリアにまたがる山で、標高は西アフリカで最も高い1752m、サバンナ気候下で豊富な生態系に恵まれています。山腹は深い森に覆われており、ボッソウのチンパンジーや、世界で唯一胎生のヒキガエルが生息する地としても知られています。1981年にユネスコの世界自然遺産に登録されました。山地は豊富な鉄鉱石含有で知られ、リベリア側では鉱物企業の採掘による自然破壊が問題となっていますが、ギニア側では豊富な自然生態系が維持されています。京都大学霊長類研究所が30年以上にわたり、チンパンジーの共同研究を行っていますが、観光客の受け入れ態勢が整っているとはいえず、これからといったところでしょう。
ギニアを訪問するツアー
1件のツアーが見つかりました。
'25 2/8(土)出発
コートジボワールからギニアへ。衣食住、多様で多彩な人々の暮らしや文化をたっぷりと味わう体験型ツアー
株式会社 道祖神
〒141-0031 東京都品川区西五反田7-23-1 第3TOCビル6階
営業時間 月~金 9:30~18:30(定休日:土・日・祝日・年末年始)
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