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アフリカの旅を創り続けて41年、専門店 道祖神で行くアフリカ

モロッコの旅行情報

モロッコイメージ

地中海と大西洋に面した、エキゾチシズム溢れる「日沈む国」

通称「マグレブ」と呼ばれる地域のひとつ。

西は大西洋、北は地中海、南東はサハラ砂漠、中央にはアトラス山脈が走っています。その地形のおかげでリゾートライフから砂漠でのラクダ乗りまでと多種多様な自然が楽しめます。

海に近い、カサブランカ、フェズ、マラケシュという大都市は、メディナと呼ばれる迷路のような旧市街があり、ここを散策するのが旅の楽しみのひとつです。モロッコの庶民的な様子を見るのにはもってこいですが、観光地化し過ぎている点も否めません。

しかし、地図を片手に散策してもなかなか目的地に行けないというのは旅の醍醐味の一つでしょう。特にマラケシュのジャマ・エル・フナ広場は夕方から夜にかけて行くと面白いです。大道芸人のパフォーマンスに始まり、屋台からは煙が立ちこめ、どこで食べようか迷うくらいの数が出ます。

ちなみに、フェズとマラケシュのメディナは世界遺産に登録されています。

一方、アトラス山脈を越えると別の国に来たように景色も人もがらりと変わります。その昔、ベルベル人がカスバ(城壁)を築いてその中に暮らしていましたが、その光景が今でも残っています。代表的なものは世界遺産に指定されているアイト・ベン・ハッドゥ。

ここは、「アラビアのロレンス」を始め数々の映画のロケ地にもなっていて、ここのクサル(要塞化された村)の中を頂上まで歩いて行くと遠くにアトラスの山々が眺められます。そして忘れてはいけないのは、サハラ砂漠の砂丘群。エルフードから4WDに乗換えて道なき道をひたすら進むとメルズーガに到着します。いくつかロッジがありますがその裏手は、大砂丘群。歩いて散策するもよし、ラクダでゆったりと進むのも良し、満喫すること間違いなし。

モロッコの魅力はそれだけではありません。クスクス、タジンを始めとしたモロッコ料理。レストランによって全く味が違うので不思議な食べ物とも言えます。そしてこれにハリラと呼ばれるスパイシーなスープとフランスパンがあればもういうことなし。

モロッコの国情報

正式名称 モロッコ王国 / Kingdom of Morocco
元首 モハメッド6世国王 / King Mohamed VI
人口 約3,528万人(2016年)
首都 ラバト
民族グループ アラブ(65%)、ベルベル(30%)
言語 アラビア語(公用語)、フランス語
宗教 イスラム教(国教)スンニ派がほとんど
面積 446,000㎢ (日本378,000㎢の約1.18倍)
ビザ 90日以内不要
電気・電圧 115/127/220-50Hz:A/E/E2 (マルチタイプがオススメです)
パスポート 入国時3ヵ月以上、見開き2ページ以上が望ましい
通貨 モロッコ・ディルハム (MAD)
1MAD = 12.01円 ※2017年10月現在
国旗

モロッコ国旗

赤旗は現在の王朝が三百年以上使っているもので20世紀初頭にソロモンの印章と呼ばれる緑のマークをつけた。

気候 首都ラバトのある北部の平野部は地中海性気候、西部は西岸海洋性気候で、夏は暑いが乾燥しており、冬は温暖湿潤でしのぎやすい。雨季は4~5月と10~11月の2回。内陸部は砂漠気候となり、山岳地帯では冬に氷点下になることも。アトラス山脈では積雪もある。
交通事情
電話のかけ方 日本からモロッコへ : 国際電話認識番号+212+市外局番(0を取る)+電話番号
モロッコから日本へ : 国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号

モロッコへのアクセス

メイン都市はカサブランカ。次に首都のラバト。

1. 中東ルート

エミレーツ航空 ドバイ経由で毎日運航。
カタール航空 ドーハ経由で毎日運航。

2. ヨーロッパルート

エールフランス パリ経由で毎日運航。また、ラバトにも毎日運航。
ターキッシュエアラインズ イスタンブール経由で毎日運航。

2018.4月現在

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モロッコの見どころ

カサブランカ

映画「カサブランカ」で一躍有名になった町。日本から行く場合ほとんどカサブランカ・ムハンマド5世空港に到着します。人口400万人とも言われるこの町は経済の中心地。モロッコの6割の企業がここに集中しています。スペイン語で白い家を意味するカサブランカの歴史は古く紀元前10世紀にベルベル人がアンファと呼ばれる丘に住み着いたのが始まりだと言われています。フェニキア人やローマ人との交易が盛んであったことも知られています。12世紀にイスラムのアルモハッド朝の手に落ちてからイスラム改宗を余儀なくされ、その後はヨーロッパの列強国ポルトガルやフランスに支配されていました。現在は、国連広場とムハンマド5世広場を中心とする新市街と旧メディナと呼ばれる旧市街とに分けられます。高層ビルが建ち並び、クラクションが鳴り止まない、歩いている人が多い、など他の国の大都市と変わらぬ喧騒さを持っています。しかし車で20分も走るとその喧騒がウソのようなアイン・ディアブと呼ばれるリゾート街があります。4月~10月がシーズンと言われます。 また、映画「カサブランカ」で有名なバー・カサブランカは国連広場近くのハイアット・リージェンシーホテルにあるのでぜひ足を伸ばしてみましょう。

マラケシュ

北アフリカ最大と呼ばれるメディナの中にあるジャマ・エル・フナ広場を中心に夜遅くまで人々が出歩いている町。昼間は大道芸人があちらこちらでパフォーマンスをし、その人たちを囲む人の輪があちらこちらで見ることができます。そして夜になると屋台が一段と目立ち、それぞれの屋台から客引きの声が絶えません。また、その活気のある様子は屋台から立ち上る湯気が空高く上がる様子でも分かります。そのメディナは広くてごちゃごちゃしていて迷路。地図を見ても迷ってしまうくらい複雑で、歩いているとマラケシュの人たちの暮らしが良く分かります。入口のドアひとつとっても味があり、ドアノブやドアノッカーにもそれが現れています。「ファティマの手」と呼ばれるドアノッカーは護身のシンボルとして有名です。一方で新市街はメナラ通り、フランス通り、ムーレイハッサン通り、国連通り、ハッサン2世通りを中心に整備されています。ホテル、家、ショップも新しく洗練されています。メナラ通りから遠くに聳えるオート・アトラスの眺めは素晴らしく、特に冬は雪に覆われた山々を見ることができます。

アイト・ベン・ハッドゥ

ワルザザートからマラケシュへ行くメインロード途中から右折していくと遠くに日干しレンガ造りの古いクサール(要塞)が見えてきます。ここが世界遺産のアイト・ベン・ハッドゥです。小川を渡ってクサルの中に入るとそこは無の世界。わずかなベルベル人が住んでいるだけです。人とロバしか歩けない狭い道を歩いて登っていくと丘の頂に出ます。そこまで登り振り返るとアイト・ベン・ハッドゥのクサール群がどのようになっているのかが良くわかります。 そして反対側は、オートアトラスの山並みなのです。

メルズーガ

砂の中にある小さな村。エルフードからの舗装道路が終わり、ピステと呼ばれる砂の中の道を走ること1時間弱、メルズーガのホテルがちらほら見えてきます。こじんまりしたホテルばかりでレセプションにはトゥアレグの布を巻いたスタッフが暖かく迎えてくれます。このエリアにあるホテルはほとんどが自家発電のため夜になると電気が切れてしまいます。しかし、その暗闇の中、空を見上げるとくっきりと満天の星空が見えのです。翌朝は、日の出前に起きて裏手に広がる砂丘群に登りましょう。ラクダに乗って行くも良し、歩いて行くも良し。 その砂丘群こそサハラ砂漠なのです。

フェズ

フェズといえば、メディナ。フェズ・エル・バリは、フェズの旧市街でもあり世界遺産にも登録されています。8世紀末にイラクのバグダッドから逃れてきたイドリスが最初にイスラム王朝を建設したと言われています。世界で最も複雑な迷路の町といわれるだけあって、地図片手ではこのメディナは攻略できません。道の複雑さもさることながら、目印に出来るものがないのが特徴です。ここの目玉は、なめし皮染色職人街ではないでしょうか。スーク・ダッバーギーン(タンネリ)と呼ばれる地区がそうですが、強烈な臭いがするのですぐわかるでしょう。革製品を販売するものが声をかけてくるので、その人についていけばイヤでもその臭いの正体がわかるであろう。

エッサウィラ

エッサウイラ(旧名モガドール)は、モロッコ王国マラケシュの西の大西洋岸に位置する、多くのモロッコ人も「一度は行ってみたい街」と憧れる港町です。歴史は古く、フェニキア時代から港町として栄え、沖合いのモガドール島からローマ時代の住居跡が発見されたこともあります。現在の町並みが形成されたのは1765年からで、一見モロッコ風の都市計画の元に建設されたように見えますが、フランス人建築家のテオドール・クールニュの設計に基づいています。ポルトガルの城壁が囲む旧市街は白い壁、青い窓、黄色い装飾に彩られ、スカラ(海に向かって突き出した砲台)からは大西洋を望むことができます。18世紀半ばから、モロッコ各地の文人や芸術家を集め、今も様々なアーティストがここに滞在して創作活動を行っており、世界遺産であるとともに、リゾート地、芸術の町という面も持っており、毎年6月には「グナワ(ベルベルの伝統音楽)・フェスティバル」が開催されることでも知られています。

ラバト

人口約65万人のモロッコ王国の首都。ラバトとは「城壁都市」という意味です。モロッコ中西部の大西洋に面し、その落ち着いた佇まいから「庭園都市」とも呼ばれています。中心部は城壁に囲まれ、旧市街と新市街のいずれもが世界遺産に登録されています。市街地北側の旧市街は、12世紀にアフリカ北部に興ったムワッヒド朝によって築かれたアラブ系の街。狭い入り組んだ道の両側に商店がひしめき、活気にあふれています。海の近くには17世紀に建造されたウダイヤのカスバ(城塞)が佇み、城塞内に作られたウダイヤ庭園は、アンダルシア庭園の傑作のひとつといわれます。旧市街に隣り合う南側に広がる新市街は、フランスの統治下にあった20世紀前半、フランス人によって作られた街。椰子の並木に彩られた広い通りにはヨーロッパの近代建築が整然と立ち並び、おしゃれなレストランやカフェは、まるでフランスの街角のような雰囲気ですが、ムハンマド5世の霊廟には、12世紀に建設が始まり未完のまま残された、高さ44mのミナレット「ハッサンの塔」が聳え、ここがアラブ・イスラムの街であることを窺わせます。

メクネス

モロッコの首都ラバトから東に約130km、フェズの西約60kmに位置する町で、メディナ(旧市街)は標高522mの小高い丘の上、3重の城壁に囲まれています。7つの門を備え、かつては昼間のみ門を開けていたといわれています。この町の最盛期は17世紀のアラウィー朝のムーレイ・イスマイル王の時代で、1675年から1728年までアラウィー朝の首都が置かれていました。首都がマラケシュやフェズに移り衰退しましたが、物資の交易中継点として現在でも重要な場所となっています。10世紀頃にベルベル系のメクネッタ族が住んでいた事が名前の由来ですが、メクネッタ族はオリーブやブドウを栽培し、ブドウ酒も作っていました。これは現在でも続いておりイスラム圏ですが、新市街のレストランにはワインやビールを置いてある店もあり、お酒が気軽に飲める町としても知られています。街の北には、聖地「ムーレイ・イドリス」、ローマ時代の「ヴォルビリスの古代遺跡」があり、メクネスを起点として訪問できます。

シャウエン

シャウエン(またはシャフシャウエン)は、モロッコの北西、リフ地方の山中にある都市で、街の一部が淡い青色一色で塗られていることで知られています。1471年に、ムーレイ・アリ・ベン・ムーサ・ベン・ラチェッド・エルが、モロッコ北部のポルトガルの侵略と戦うための小さな要塞として設立したのが街の始まりで、スペインによるイベリア半島再征服の後、多くのイベリア半島生まれのイスラム教徒とユダヤ人がここに定住しました。1920年から1956年まではスペインの支配下にあり、現在もタンジェやスペインの飛び地であるセウタから近いため、特にスペイン人観光客に人気の観光地です。ウールの衣服、毛織物など、モロッコの他の場所で手に入れることのできない現地の手工芸品が数多く売られており、人気があります。

アル・ジャディーダ

16世紀初頭に築かれた海の上の要塞都市が、世界遺産『マサガンのポルトガル都市』として今も残されている港町。カサブランカの南90km位置しており、車で2時間ほどで足を延ばすことができます。1502年にポルトガル人がインドの航路開拓の中継所・居住地として築いた要塞で、海に浮かぶ小さな島の上に、高さ8mの分厚い城壁で覆われた街です。1769年に、ポルトガル人がモロッコとの戦いに敗れて立ち去った後、一時廃墟化しましたがすぐに再建され、ポルトガル語の地名「マサガン」は使用を禁止され、アラビア語で“新しきもの”を意味する「アル・ジャディーダ」に改名されました。一番の見どころは『巨大貯水槽』。当時のポルトガル司令官の邸宅の地下室で、ゴシック様式の円柱がある美しい貯水槽です。地上から雨水が溜まる仕組みになっていて、非常時には各住居へ水路で移動できるようになっています。貯水槽の天井中央には穴が空いており、そこから太陽に光が差し込む昼頃の光景が最も見ごたえがあります。

ヴォルビリス

北アフリカに現存する古代ローマ都市のうち、保存状態が最も良いものひとつされ、ユネスコの世界遺産にも登録されています。当時のローマ帝国の勢力範囲の最も西に位置し、カルタゴの施設群の上に西暦40年頃に建設されました。「ヴォルビリス」の名は、付近に多く咲いていたキョウチクトウのベルベル語の呼び名に因んでいます。一帯は小麦やオリーブオイルなどを多く産出した肥沃な土地で、ローマへと出荷された産品を元に繁栄、3世紀のローマ撤退後も放棄されずに存続しましたが、度重なる地震とフェズの建設により重要性を失い没落しました。この遺跡のシンボルとも言える「カラカラ帝の凱旋門」の他、見事なモザイクが残る「ヴィーナスの家」や「ギリシア青年の家」、巨大なフォーラムとバシリカ礼拝堂などが見所です。また、遺跡の近くにはモロッコ初のイスラム王朝イドリース朝を打ち立てたイドリース1世が埋葬された聖なる町「ムーレイ・イドリース」があります(町の中心部「ホルム」への、非イスラム教徒の入域は禁止されています)。

テトゥアン

モロッコの地中海側にあり、地中海と大西洋を分かつジブラルタル海峡から南に40kmほど、リーフ山地の北方のマルティル川渓谷の肥沃な北斜面に広がり、町の北と南と西は山に囲まれている町。町の名前の由来は、この地に湧く泉を比喩的に表現した、ベルベル語で「目」を意味する「ティタウィン」。特に旧市街は職人が多く住む低層の白い家々が密集して立ち並び、この部分が「テトゥアン旧市街」としてユネスコの世界遺産として登録されています。住民の多くはイスラム教徒ですが、少数派のキリスト教徒も暮らし、メラーと呼ばれるユダヤ人地区も残っています。スペインが支配していたセウタ攻撃の基地として、マリーン朝によって現在のテトゥアンの町が築かれたのは1305年頃。1400年頃にカスティーリャ王国によって破壊されましたが、1492年のグラナダ陥落によってイベリア半島を追われた難民が押し寄せ、再建されました。1912年のフェズ条約でスペイン領モロッコの首都となった後、1956年の独立に伴って旧フランス領と合流したため、現在でも住民の多くはスペイン語も話します。

食べ物・買い物

モロッコ料理といえばタジン料理。日本でも流行しましたのでご存知の方も多いでしょう。モロッコに限らず、北アフリカ諸国では一般的な料理ですが、野菜の水分を使って肉などと一緒にタジン鍋で煮る料理です。本場だけあってタジンにも様々なバリエーションがあり楽しめます。そして、野菜の煮物がたっぷりのったクスクス。地形と気候が多様なモロッコでは、大西洋岸では油ののったイワシやエビ等の海の幸を、高地では清流で育ったマス料理も食べられます。そして、モロッコといえばいわずと知れたエキゾチックな雑貨の宝庫。バブーシュなどの革製品、フェズ産に代表される陶器、金属やガラスの細工物、多種の布など、秀逸な手工芸品が豊富に揃っています。また、アルガンオイルやローズウォーターなど女性に人気の美容雑貨も人気です。

モロッコの旅行・ツアー

モロッコと同じ地域(北部アフリカ)の国