鎌倉七口とまんだら堂やぐら群
鎌倉七口とは、三方を山に囲まれた鎌倉への鎌倉道などの陸路からの入口を指し、いずれも鎌倉を取り囲む山の稜線を切り崩して通路(切通し)が作られています。鎌倉時代には「七口」の呼び名はなく、京都の「七口」をもじったものと言われています。明治以降は車道として次々と道路拡張が行われてしまいましたが、7つの切通しのうち朝比奈(朝夷奈)、名越、大仏、化粧坂の4つの切通しは、中世鎌倉の雰囲気を今に残しており見応えがあります。また、鎌倉は地理的条件から墓地を作り、拡張するスペースが限られたため、あちこちに「やぐら」と呼ばれる岩肌を横に穿って造った墓地(慰霊堂)が作られ、今に残されています。そのうち、名越切通しの途中にあり、毎年秋に限定公開される中世の集団墓地「まんだら堂やぐら群」は当時の埋葬文化を知る上で非常に貴重な遺構となっています。