Africa Deep!! 63 マウント・ケニアが育んだ世界を席巻する紅茶

僕が暮らしている大分県杵築市では日本国内では珍しい紅茶が特産品になっている。戦後になってから紅茶の生産が開始されたそうで、農家の人に話を直接聞きに行ったことがある。それによると日本では紅茶の生産そのものはすでに明治初期から政府が奨励して開始されていたという。

ところが1971年に紅茶の輸入自由化が決められると、国際的な価格競争にさらされてしまい、国内の紅茶農家は次々と廃業に追い込まれていった。杵築市の紅茶はブランド化してかろうじて生き残っているが、現在では日本で販売されている紅茶の大半は外国産である。

紅茶といえばインドをすぐに思い浮かべる。アッサムやダージリンという産地名は誰でも知っている。実際、生産量は世界第一だ。ところが紅茶の輸出量となると、ケニアが世界第一位に躍り出ることはあまり知られていないのではないだろうか。

日本でケニア紅茶のことがあまり知られていない理由はおそらく、ダージリンなどの単独のブランドとしてほとんど流通していないからだと思われる。ケニア紅茶の多くはブレンドされて販売されている。だから日本人は知らず知らずのうちにケニア産の紅茶を口にしていることになる。

マウント・ケニアはアフリカで二番目の標高を誇る高山で(一番目はもちろんキリマンジャロ)、山頂部には氷河も存在している。ケニアではこのマウント・ケニアの周辺がお茶の栽培に適しているといわれ、実際に山麓を車で走るとなだらかな丘陵にかなり大規模な茶畑が広がっているのを目にすることができる。

ちなみに紅茶と緑茶は同じお茶の木から収穫される。茶葉を摘んだ後の発酵処理の違いによって、緑茶になったり紅茶になったりするのである。ケニア産の茶葉はミルクティーに向いているとされ、発酵処理後の茶葉は小さくクルクルと丸まっている。

お茶はもともと中国の雲南省あたりの亜熱帯が原産と言われており、日中は気温が上がり夜間は冷え込むような場所が栽培には適している。マウント・ケニア山麓はまさにこの条件にぴったりだった。最初は植民者イギリスの文化であったミルクティーは、その後すっかりケニアにも定着している。

僕が初めてアフリカの土を踏んだ30年ほど前のナイロビでは、食堂で「チャイ・ヌス(半カップの紅茶)」というのが注文できたものだが、ああいう注文の仕方は現在でも受け付けてもらえるのだろうか。

写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。アフリカ関連の著書に、「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から」「UJAMAA」などがある。最新作の「フィリピン残留日本人」が第25回林忠彦賞と第16回さがみはら写真賞をW受賞した。
公式ウエブサイト http://www.funaoosamu.com/