アフリカ旅行の道祖神

南スーダンの旅行情報

南スーダン概要
2011年7月に、スーダンから独立したアフリカで一番新しい国。もともと北部のスーダンよりもウガンダ北部の方に近い歴史・文化・宗教を持っています。1821年にスーダン北部はエジプト、南部はイギリスが占領しましたが、1898年からはイギリスとエジプトによる共同統治が開始されます。イギリスは南部をウガンダと統合したかったのですが、その意に反して1947年のジュバ会議で南北スーダンの統合が決まってしまいます。1955年、北部の経済的・政治的支配に不満を持つ南部で反乱が起き、第一次スーダン内戦に発展。1972年にようやく終結するまで北部と南部の争いは長く続きました。そんな中、1974年に南部で油田が発見されます。一時は南部の分離独立のための住民投票まで認めたスーダン政府は、石油を独占するため、再びかたくなな政策をとります。その一つがイスラム法シャーリアの導入でした。キリスト教徒の多い南部では再び反発が強まり、そしてジョン・ガランをリーダーとしたスーダン人民解放軍の主導のもと、第二次スーダン内戦が発生。1989年にオマル・アル=バシールが大統領に就いてからさらに戦争は拡大し、250万人ともいわれる南部の住民が犠牲になりました。2002年の南北和平交渉の成立後は、次第に南部分離独立への準備が進められ、2011年1月の住民投票では圧倒的な支持で分離独立が決まり、ついに同年7月9日にスーダンから分離独立を果たしました。スーダンから独立したものの、現在も石油の利益配分、また国内での民族対立など問題は山積みといった状況です。
地理的には、スーダン(北)、エチオピア(東)、ウガンダ・ケニア(南)、コンゴ民主共和国・中央アフリカ(東)と国境を接しています。最高地点は南部のキヌエティ山で標高3187m。中央部には縦に白ナイル川が、首都のジュバを通過する形で流れています。南部は北部に較べると雨も多く、サバンナ、湿地、熱帯雨林など多様で豊かな自然環境を持ち、ニムレ国立公園、ボマ国立公園など野生動物も多く見られます。
また南スーダンの魅力のひとつが民族で、ウガンダやケニアの北部と同じナイル系の民族が多数を占め、牧畜を主な生業として生活をしています。ディンカ、ヌエル、シルックなどいずれも男性の平均身長は2メートルはあろうかという長身で、精悍な顔立ち。巨大な角を持つアンコーレ牛を何より大切にし、一定時期は若い男女だけで村を離れ、放牧のためのキャンプでたくさんの牛に囲まれて生活します。夕刻、牛の吐息で霧がかかったようにかすむキャンプは幻想的です。南部エチオピアのように、南スーダンでも、この民族の伝統的な暮らしそのものが観光の最大のハイライトになるでしょう。そのためにも1日も早く平和が訪れることを願わずにはいられません。
南スーダンの国情報
正式名称 南スーダン共和国 / Republic of South Sudan
元首 サルバ・キール・マヤルディ大統領 / Salva Kiir Mayardit
人口 約1,258万人(2017年)
首都 ジュバ / Juba
民族グループ ディンカ、ヌエル、シルク、ムルレ、バリ、他多数
言語 英語(公用語)、アラビア語、その他部族語多数
宗教 キリスト教、イスラム教、伝統宗教
面積 640,000㎢(日本の約1.7倍)
ビザ ビザ(査証)について』のページをご覧ください。
電気・電圧 230V-50Hz:C/D
通貨 南スーダン・ポンド(SSP)
1SSP = 0.825円 ※2020年3月現在
国旗
南スーダンの国旗
左側の黄色の星は「ベツレヘムの星」で、キリスト教の象徴である。また、南スーダンの団結を意味している。三角の青色はナイル川の水を表している。黒は南スーダン国民である黒人を、赤は革命のために流された血を、緑は豊かな国土を意味している。二本の白い線は平和を表している。
気候
交通事情
電話のかけ方
日本からかける場合
国際電話認識番号+211+市外局番(0を取る)+電話番号
日本にかける場合
国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号
南スーダンへの行き方
メイン都市はジューバ(※2018年4月現在、南スーダンには「退避勧告」が発令されております)。
1. アフリカルート
  • エチオピア航空 アディスアベバ経由が週4便運航。
2. その他のルート
  • ケニア航空 ナイロビより毎日運航。
  • フライドバイ ドバイより週3便運航。
2018.4月現在

南スーダンの見どころ

ジュバ
ウガンダとの国境に近い南部に位置し、白ナイルが流れる首都。スーダンから独立する前も南部スーダンの首都が置かれていましたが、独立後南スーダンの首都となります。独立前から人道支援団体や国連関係者などがジュバに集中したことから、物価が高騰し、プレハブで出来た平屋のホテルで1泊200ドル以上もします。2013年10月に訪問した際には、高い建物はせいぜい3~4階、道路も幹線道路以外はほぼ未舗装。街の一角で日本の自衛隊が舗装道路をつくっているところに出会いました。中国の支援も急激に進んでいるようなのでジュバも数年で様変わりするかもしれません。マーケットもモノに溢れている、とまではいかないものの、美容室は女性で賑わい、日本製のヘアウィッグがずらりと並んだ店、衣類の店などが多く、街を歩いていて一見は生活レベルが低いという印象は受けませんでした。ですが、経済の恩恵を受けているのはほとんどが外国人という状況です。中華料理の店も意外に多く、中には焼き鳥、鉄板焼き、トンカツなど日本食を出す店もあります。ジュバでビジネスをする人たちの多くが、ウガンダやケニアなど隣国からビジネスチャンスを求めてやってくる出稼ぎ組の外国人です。南スーダンの人たちが本当の意味で独立するのはまだまだ時間がかかるかもしれません。ジュバの見どころとしては、スーダン人民解放軍の指導者・ジョン・ガランのお墓、牛のマーケット、ナイル川クルーズなど。

民族
最大の人口を持つディンカ(人口の約15%)、第2のヌエル(約10%)、シルック、バリなど牧畜を主体とするナイル系、その他イスラムを信仰する民族、半農半牧の民族など多数の民族に分かれます。南スーダンは、ナイル系の民族が主流となる初の国家です。ただ一方で、牧畜を主体とする彼らが土地をめぐって争い、特に最大の人口であるディンカと、第二のヌエルは、政治的な対立(ディンカ出身の大統領と、ヌエル出身の元副大統領)も絡み、敵対関係が続いています。ナイル系は、それぞれエチオピア南部、ウガンダ北部、ケニア北部の同じくナイル系の人と近縁であり、例えば南スーダンのバリの人たちはエチオピアではカロと呼ばれていますし、シルックやスーリは、ケニアで民族の名前にもなっているルオーの言語を話す人たちです。スーダンではヌバの人たちが、伝統のレスリングが有名に、そしてレニ・リーフェンシュタールの写真集でもその名前を知られることとなりましたが、南スーダンでも多くの民族がレスリングを行い、その肉体美も共通するところであります。2013年にはジュバから比較的近いムンダリと呼ばれる人たちの集落を訪問しましたが、若い男性による通過儀礼ダンスは見事です。この国に平和が訪れ、再び彼らの集落と数百頭の牛に囲まれる遊牧先のキャンプを訪れることを願ってやみません。
南スーダンを訪問するツアー
現在、南スーダンを訪問するツアーは掲載していません。
オーダーメイド(手配旅行)で南スーダンへのご旅行をお考えの方は、アフリカ オーダーメイドの旅をご覧ください。
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