アフリカ旅行の道祖神

ガンビアの旅行情報

ガンビア概要
ガンビア河に寄り添った「河の国」の素朴な暮らしと文化
ガンビアはアフリカ大陸でもっとも小さな国です。国土の周り三方を隣国セネガルに囲まれ、国の真ん中を流れるガンビア川の両岸が国土となっている珍しい地理をしていますが、国の雰囲気は隣国セネガルともまた少し違います。一つには、フランスが旧宗主国だった国が多い西アフリカにおいて、ガンビアはイギリス領であったということが大きいでしょう。セネガルとは、ほとんど人種が同じでありながら街の雰囲気は異なります。公用語は英語ですが、多くの人々はマンディンカ語、フラニ語、ウォロフ語といった現地のエスニックグループの言葉を日常的に使っています。アメリカの黒人奴隷を描いたアメリカのドラマ『ルーツ』に登場するクンタ・キンテもガンビア出身のマンディンカの人々がモデルになっています。
1965年の独立までは、この国にも数々のヨーロッパ諸国の足跡が見られます。15世紀頃まで、現在のガンビアの土地はガーナ王国やマリ帝国に属していましたが、15世紀中頃に、ポルトガルの商人達がこの土地を“発見”し、ガンビア川の下流域に商業拠点を置きました。その後、16世紀にイギリスが進出してきて、近隣諸国を植民地にしていたフランスと争い、1783年にイギリスの植民地となりました。18世紀に奴隷貿易が行われていた植民地支配の痕跡が残っている遺構の多くは、『ジェームズ島と関連遺跡群』として2003年にユネスコの世界遺産になっています。セネガルの『ゴレ島』と並び、人類の負の世界遺産の一つと言えるでしょう。他に、セネガルと共有している世界遺産に『セネガンビアの環状列石』があります。
ガンビア、そしてセネガル南部のカザマンス地方の音楽/楽器には『ソウルウバ』と呼ばれる伝統音楽があります。ギニアビサウやギニア・コナクリにも広く住んでいる、マンディンゴの人々やフラの人々に伝わる太鼓の総称をソウルウバと呼びます。西アフリカの太鼓で有名なジャンベや、サバールともまた異なるその太鼓は片手にはバチを持ち、もう片手は手で叩きます。サバロー、クティロー、クティリンディンの3本一組で演奏され、村での祭礼事には欠かせない太鼓です。また、このソウルウバの太鼓のリズムに合わせた決まったステップ/踊りが幾つもあります。ガンビアでは、伝統音楽以外にレゲエ等の海外の音楽も盛んです。公用語が英語ということもあってか、米・英のロックやブルース等に影響を受けたグループも多く見られます。
中でも有名なのは、独立後に活躍したバンド『スーパー・イーグルズ』でしょう。活動期間は、1967年から72年とわずか5年に満たないのですが、アフロ・キューバン、ロック、ソウル、ルンバ・コンゴレーズ、ハイライフ、といった様々な音楽と彼等の出自と思われる伝統音楽ンダッガ (NDAGGA)などの、様々な音楽をブレンドして生み出されたスタイルは、後にンバラ・ポップ誕生の基礎を作りだしたと言われています。何と、ビートルズのカバーなんかも演奏していたそうです。 一見、一貫性のないような彼等の音楽性ですが、様々な音楽が欧米から入ってくる中、それらすべてを飲みこんで、何でもやってやろうという冒険精神を許す独立後の自由な空気のなかで生まれたものなのではないでしょうか。おおらかで自由な空気のガンビアは、旅人にとっても、とても居心地のいい風が吹いています。
ガンビアの国情報
正式名称 ガンビア共和国 / Republic of The Gambia
元首 アダマ・バロウ大統領 /
人口 約210万人(2017年)
首都 バンジュール / Banjul
民族グループ マンディンゴ、ウォロフ、ジョラ、セラフリ、フラ
言語 英語(公用語)、マンディンゴ語、ウォロフ語等、フラ語
宗教 イスラム教(90%)、キリスト教・伝統的宗教(10%)
面積 11,300㎢ (岐阜県程度)
ビザ ビザ(査証)について』のページをご覧ください。
電気・電圧 230V-50Hz:BF/C
通貨 ガンビア・ダラシ(GMD)
1GMD = 2.10円 ※2020年3月現在
国旗
ガンビアの国旗
赤は太陽を、青は国の中央を流れるガンビア川を、緑は農業資源を、白は団結と平和を意味している。 大統領旗は青地に国章を描き、旗の周りを黄色く縁取ったもの。
気候 河口部から中流域に向かって、熱帯雨林気候からサバナ気候へと変化する。 雨季は6~10月で、南西モンスーンがこの時期に集中して多量の雨をもたらす。 乾季は11~5月となり、比較的気温も低くしのぎやすい。首都バンジュールの年平均気温は25℃。
交通事情
電話のかけ方
日本からかける場合
国際電話認識番号+220+市外局番(0を取る)+電話番号
日本にかける場合
国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号
ガンビアへの行き方

空路の玄関口はバンジュール

1. ヨーロッパルート
  • ベルギーのブリュッセルより週4便運航。
2. その他
  • モロッコのカサブランカより週5便運航。
2018.4月現在

ガンビアの見どころ

ガンビア川
ギニア北部のフータ・ジャロン高原から西に向かいバンジュール市の大西洋まで1130km(700マイル)を流れる。そのうちの約半分ほどが渡航可能である。フータジャロンから北西に、セネガルのタンバクンダ州、ニョコロ=コバ国立公園と続きガンビアのFatotoに流れる。ここから西へ流れるが、いくつもの三日月湖を通りながらコースをくねらせ、河口から100kmほどのところから徐々に川幅が広がり、海へ流れる頃には10kmを超える。ジュフレ近くの河口付近に奴隷貿易に使われた場所で世界遺産として登録されているクンタ・キンテ島がある。

クンタ・キンテ島と関連遺跡群
ガンビア川流域にある、クンタ・キンテ島とその近郊にある諸々の遺跡群です。かつて奴隷貿易を行っていた当時の要塞や船出前の奴隷の宿泊施設などの遺構が残っています。セネガルのゴレ島と並び、かつては奴隷貿易の拠点となっていました。ユネスコの世界遺産に登録されており、島以外には、首都バンジュール市内にある六連砲台や近郊にあるバレン要塞、 アルブレダやジュフレといったマンディンゴの人々が住む農村も含まれます。この地で捕えられ、奴隷どなった先祖の足跡をたどった小説「ルーツ」の舞台であり、主人公のクンタ・キンテが奴隷として収容された島です。島のほど近く、ジュフレの村にはクンタ・キンテの生家が残っており、クンタ・キンテ一族の末裔が暮らしています。

セネガンビアの環状列石
セネガル、ガンビア両国に跨るセネガンビア地域で見られる環状列石群です。39,000㎢に分布しており、遺跡の総数は、1,965箇所で、16,790基の石碑及び石柱が発見されています。立ち並ぶ巨石は8世紀頃に、より早い時期の墓の上に墓標として立てられたものであり、12世紀頃まで続けられました。10個から24個の石でそれぞれの環が形成され、高さは1mから2.5m、重いものでは10トンにもなります。これらの石は、一般的にはラテライトです。1,000以上の環状列石群がありますが、最大のものは1,000以上の石で52の環が作られているジャルンベレ (Djalloumbéré) のもので、ワッス (Wassu)周辺にあります。ワッスには、環状列石に関する博物館があります。環状列石が立てられた理由自体も解明されていませんが、2006年にナショナル・ジオグラフィックが報告した発掘調査によれば、葬儀に関するものであった可能性が示唆されています。
ガンビアを訪問するツアー
現在、ガンビアを訪問するツアーは掲載していません。
オーダーメイド(手配旅行)でガンビアへのご旅行をお考えの方は、アフリカ オーダーメイドの旅をご覧ください。
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