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ガーナ(ガーナ共和国)

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ガーナの国名は、8~11世紀にセネガル河上流とニジェール河上流を結ぶ地帯の北方内陸部に栄えた古代ガーナ王国から命名したもの。 ただ、この王国と歴史的関係はなく、サブサハラのなかで最初に独立した(1957年3月6日)誇りをサハラ以南のアフリカ人の最初の国家の名称によって象徴させるためであったようです。

現在のガーナの地域には、13~16世紀にかけて西方より移動してきたアカン(アシャンティ、ファンテなど)、エウェなどが先住民を制圧し定住。 15世紀に入るとポルトガル人が渡来し、エルミナなどの沿岸地域に城塞を築くことになります。 この地域は金の産地であることから、ゴールドコーストと名付けられ、以後、デンマーク、オランダ、イギリスなどの進出が続き、金と奴隷貿易の拠点ともなりました。(今でもその城塞は残っており、そのなかで状態が良いものはエルミナとケープコーストのものであり、世界遺産にも指定されています)

17世紀後半になると、奴隷貿易によってアシャンティ王国が繁栄し、ゴールドコースト西方の森林地帯の大半を支配しますが、イギリスと対立し、再三にわたる戦いの末、敗れてイギリスの植民地へ。

上述のようにサハラ以南で最初に独立した国であり、その初代大統領クワーメ・エンクルマはパン・アフリカニズム(アフリカ団結)の発展に指導的な役割を果たし、その後、多くの国々が独立していきます。

ご存知の人も多いでしょうが、世界最大の人造湖はガーナにあるボルタ湖です。 これは1961年から65年にかけて建造されたアコソンボダムによって出現した湖であり、全長400km、面積8,500km2もあり、ガーナの国土の3.6%を占めます。 このダムは海岸沿いテマでのアルミニウム生産用の電力を供給するために米国系企業の資金援助により造られたものであり、多くの電力がその工業用に用いられました。 長い間、ガーナの人々がその恩恵を受けることはなく、80年代初頭までアクラですら頻繁に停電があったようです。 現在は、隣国に売電することにより外貨獲得源となっています。

ガーナと言えば、昨年より千円札の肖像になった野口英世博士とチョコレートでしょうか。 黄熱病研究のため、エクアドル、メキシコやブラジルなど中南米を渡り歩き、アフリカのガーナで亡くなった科学者・野口英世博士。 彼がエクアドルで発見した黄熱病の病原菌だと思っていたものは、現在では黄熱病と似たような症状をおこすワイル氏病の病原菌だと言われています。 1927年に黄熱病が発生した西南アフリカに渡り、自らの証明に尽力しましたが、研究中にアクラで黄熱病に罹り、1928年5月21日に同地で亡くなりました(享年51歳)。

彼が研究していたコルレブ病院には、銅像と記念碑が建てられており、その研究室は現在、展示室になっています。 コートジボワールとともにカカオの産地として有名であり、ガーナの換金作物の1つにもなっており、南部の森林地帯で主にアカンの人々により栽培されています。 ガーナ産のチョコレートは、少し硬いです(ガーナの暑さにも耐えられるように?)が、お土産としてお勧めの1つです。

ハイライフと呼ばれるガーナの音楽は西洋風のメロディとパーカッションがアフリカのリズムと結びついて形成されたもので、ナイジェリアのジュジュや旧ザイールのリンガラと並び、世界的にも有名です。(同名のハイライフという、贅沢な暮らしや上流階級の生活をイメージさせるカクテルがあるそうで、これもアクラのバーテンダーが考案したものだそうです)

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基本情報

正式名称 ガーナ共和国
Republic of Ghana
大統領 ジョン・エバンス・アッタ・ミルズ
人口 約2,390万人(2008年) 首都 アクラ
人種 アカン、ガ、エベ、ダゴンバ、マンプルシ他 言語 英語(公用語)、ガ語
宗教 キリスト教徒(50%)、イスラム教(15%)、伝統的宗教 面積 238,537km2 (本州222,500km2とほぼ同じ)
ビザ 必要 電気・電圧 230/250V-50Hz:B2/B3/E (マルチタイプがオススメです)
パスポート 申請時6ヵ月以上 通貨 ガーナ・セディ (GHS)
1GHS = 64.4円 ※2010年4月現在
国旗

ガーナ国旗

独立にあたって、エチオピアの国旗に由来する汎アフリカ色を初めて使用した。 中央の黒い星はアフリカの自由を導く道しるべの星。
気候 大部分が低地で、北上するにつれ熱帯雨林気候からサバナ気候へと移行する。 沿岸部にある首都アクラの年平均気温は26℃、平均湿度80%と高温多湿。 10~3月の乾季には、ハマターンと呼ばれるサハラ砂漠からの砂を含んだ風が吹き寄せ、暑く埃っぽい日が続く。 4~9月の雨季は、ギニア湾からの南西貿易風によって気温も下がり過ごしやすくなる。
電話のかけ方 日本からガーナへ
国際電話認識番号+233+市外局番(0を取る)+電話番号
ガーナから日本へ
国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号

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アクセス

空路の玄関口はアクラ

1. 中東ルート

エミレーツ航空 デュバイ経由が毎日運航
エジプト航空 カイロ経由が週4便運航

2. ヨーロッパルート

ロンドン、アムステルダム経由がそれぞれ毎日運航
フランクフルト経由が週2便運航

3. その他

アフリカ各国からフライト有り。
ケニア航空 ナイロビより毎日運航、エチオピア航空 アディスアベバより週6便運航
南アフリカ航空 ヨハネスブルクより週4便運航、ロイヤルエアモロッコ カサブランカより週3便運航
その他、近隣アフリカ諸国(リビア・トリポリ、ナイジェリア・ラゴス等)からフライトがあります。

2010.4月現在

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見所・行き所

アクラ

アクラ

15世紀にガの人々がポルトガル人との貿易港として開拓し、後にポルトガル人がこの地に砦を築いて拠点としました。 現在のアクラはイギリスとオランダの築いた砦を中核として広がっており、それぞれジェームズタウン、ウッシャーズタウンと両国との関係を感じさせる地名として残っています。 イギリスとアシャンティとの戦争終結後、アクラはイギリスの西アフリカ植民地の拠点となり、内陸部への鉄道網が整備され、内陸部の鉱業と農業からの生産物を輸出する貿易港となり、アクラはガーナの経済中枢として発展しました。 1862年、1939年などの数回の地震により打撃を受けましたが、港を中心に復興し、周辺の町を吸収してさらに拡大しました。 港は現在、東のテマに移っています。 見どころとしては、先ずは、野口英世博士の旧研究室。 コルレブ病院内にあり、現在は資料室になっており、手紙、写真や使用した顕微鏡などが展示されています。(日本の援助に建てられた野口研究所とは場所が異なります)。 街の中心部に、海岸線からアートセンター、マコラマーケット、ガーナ初代大統領のエンクルマ廟、国立博物館があります。 アクラ郊外のテシ村は棺おけアートで有名です。 テシ村の大工が、生前に飛行機に乗りたがっていた自分の母親の為に飛行機型の棺おけを作ったことが始まりとされます。 富をもたらしてくれた物や死後も一緒にいたいと思う物など、自分の人生に様々な形で関わった物をかたどった棺おけに入り、あの世へ旅立ちます。

クマシ

クマシ

11世紀頃、北方のサバンナ地帯から、他のアカンの人たちと移住し、クマシ東南27kmのLAKE BOSUMTWI周辺に居を定めたのが最初とされます。 周辺の森林地帯は金の産地であり、豊富な金とコーラの実が、サハラ交易の主役となり、幾つもの小王国が形成され、15世紀には進出してきたポルトガルと交易関係を持ち、奴隷も供給するようになっていました。 アシャンティ王国は、初代のオセイ・トゥトゥ(OSEI TUTU)が小王国を組織・統一し、新首都を現在のクマシに移し創設。 その際、伝説によるKUMの木の下で、天から黄金のスツールを授かり、以後アシャンティ王朝の権力のシンボルとなりました。 この黄金のスツールに座る者が、最高権力者と言う事に。 欧州でのパワーがオランダから英国に移ったように、ガーナにおいても英国の支配化へ。 英国は、沿岸部を支配していたファンティ王国も保護下に置き、アシャンティと対立。1824年から4次に亘る英国との戦争(第3次では一時的にアシャンティが勝利する)で、1874年遂に完敗。 最後の若き王PREMPEHは、セイシェルに追放された。英国が勝利の印にシンボルである黄金のスツールを要求、それに対し、重臣達は偽のスツールを差し出した話は有名です。 クマシの郊外には民芸の村々が点在します。 ガーナの代表的な織物ケンテ・クロスのボンウィレ村、アディンクラ布のントンソ村、木彫りやスツールのアウィア村、陶器のパンクロノ村など。 アフリカン・アートに興味のある方は是非ご訪問を!

エルミナとケープ・コースト

エルミナとケープ・コースト

アクラからアクシムの間の沿岸部にはいくつもの城砦があり、その中でもエルミナ又はケープコーストの城砦は一見の価値ありです。 エルミナは1482年、西アフリカに最初に進出してきたポルトガル人により建立。 この地方で最古の建物の一つです。コロンブスの大陸発見の10年前。その後、150年に亘り、ポルトガルの司令部として機能。 1637年、オランダの西インド会社の兵隊に明け渡すことになりました。城の規模は、現在のサイズ。 城内にはカソリックの教会がありましたが、プロテスタントのオランダ人達はお構い無しに、ホールに、更に奴隷見本市場に転用。 1872年、英国は、沿岸部に点在する他の城塞と一緒に、このエルミナ城を購入。 ギニア湾の美しい海岸沿いに位置するケープ・コースト。 明るい周囲の雰囲気とは対照的に暗い雰囲気を持つケープ・コーストの城砦。2000名のアフリカ人が詰め込まれていた狭い収容所、脱走を試みた奴隷が閉じ込められた独房、新大陸への積み出しの船着場。。。 今でもルーツを辿る旅としてアメリカからの訪問客は絶えません。

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