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グランドサハラ エクスペディション 帰還
(セネガル〜モーリタニア〜西サハラ〜 モロッコ〜ポルトガル〜スペイン)-
p8
月風かおり
【無穹のサハラへ、再び】
2/1。チェニスの蒼々とした空の下、サハラを目指してエンジンを爆発させた日遥か遠い昔のような気がした。今、セネガルの地でスタンバイしているXRは、頼もしいほど渋い味を出している。今朝は胸の高まりを抑え切れない。再び乾いた世界へ向かうのだ。単調な空間、人間の存在をあざ笑う魔物がすむ世界へ。新しく履き替えた前後のタイヤは、確実に路面をグリップし心臓の鼓動と共に加速を促した。
今日目指すセネガルのサンルイは、ダカールへ首都が移される以前、アフリカ植民地政策の統治領が置かれた街で、当時、セネガルの中心都市であった。ダカールからサンルイまでの300キロは、農耕にも適し、緑ある風景を楽しめる。同じ緯度線のカイや、マリのモプティのように砂に篭った暑さはなく、乾燥はしているものの、比較的爽やかな風が吹いていた。海岸線は常に海流の影響を受けるので、北アフリカの大西洋を南下してくるカナリア寒流のせいでもあろう。
このサンルイに立ち寄ったことで、ガーナのケープコースト、ダカール沖のゴレ島と、3箇所アフリカの奴隷貿易の歴史の地を訪れたことになる。ケープコーストの砦で、'The door of no return'の言葉が胸に刺さったままで、こうしてアフリカを走っている。毎日見る風景に、時々この言葉を思い出させるSeenが埋もれているのである。
街という位置づけではあるが、'Sor'と呼ばれる本土地区と、セネガル川にできた中州と、遥かモーリタニアから南に延びる外海の砂洲の3地区をフェデルブ橋というアーチ型鉄橋がつなぐ奇形な街なのである。太平洋の荒波が、外海の砂洲に遮られている中州の好立地は、セネガル川から奴隷や産物を運び出すため、他の港より優れていた。しかし、ダカールに首都の座を奪い取られたのは、急速な落花生の海外輸出のため、港の条件が限界になってしまったことが理由なのである。
昼、中州の小さなレストランでセネガルの伝統料理'ヤッサ'を注文する。玉ねぎとバターをベースにビネガーソースで仕上げ、メインのトッピングには鶏か魚を選ぶ。それがこってりとしているのだ。暑さ防止、体力回復に良いかもしれない。
フェデルブ橋を渡って、中州の南に今日の宿を決める。いつものように裏口からバイクを中庭に入れさせてもらった。しかし、まだ日は高い。この小さな中州を探索するには、バイクが一番。早速、軽装、ノーヘル、ゴム草履のいでたちで、歴史に埋もれつつある街を見て回る。中州の端から端までは、バイクで抜けると、あっという間だ。路地のあちこちには、風化されゆく石作りの建物、当時の繁栄を思わせる洒落た窓枠や、イスラムの臭い、さらに、西アフリカ初のキリスト教会など文化的融合を感じる。中心地の知事官邸は修復の途中であったが、崩れた倉庫街や、放置されたレンガの壁はこのまま呼び起こされることもなく、朽ち果ててゆきそうな・・そんな街だった。
中州の南端にある博物館では、サンルイの変貌と、ヨーロッパの色がブラックの世界へ年月をかけて浸透してゆく歴史をみることができる。
宿に戻ると、体調を崩した仲間が・・・食欲がないという。正直、長旅では誰かしら故障している。どこかでくだものでも買ってこようと、再びバイクを出し、みずみずしい食べ物一つの目的で街に出てみる。こういうのは好きである。つまらないことかもしれないが、何か欲するものにたどり着くための道程、知らない土地を攻めてみるのが面白いのだ。
'マンゴ'にしよう。 この中州から見える海岸の砂洲へ渡ってみると、そこは漁師の下町、久しぶりにゴチャゴチャした雑踏が現れた。おおきなマルシェはないが、通り沿いに露店が並んでいた。しかし、どこもみずみずしい果肉を置く店はない。何日も前の干からびたオレンジや、乾物ばかりである・・・・
まあ、こんなところで'マンゴ''マンゴ'物色している怪しいチャイニーズに、視線は痛いのではあるが、そんなことは気にせず前進していくと、きゃしゃな、しかし眼光の鋭いママと目があってしまう。彼女も買い物の途中のようだ。私は瞬間に「マンゴは?」と言ってしまった。彼女は、ムッ、として眉間にしわを寄せながらも、私についておいでのアクションをする。不思議なことであるが、ブラックのママたちの鈍く、鋭い目がすきだった。無邪気な子供たちの笑顔、日陰でだらりとお茶する男たちに比べて、生活をしょって立つママたちの自信に満ちた目が、いつのまにか私を魅了していたのである。頼りになる気がした。彼女についてさらに行くと、私が通りすぎた店でマンゴに出会えたのであった。しかし、高い。でももうこの先、こんな果肉にありつけないか、と思うと惜しくはない。彼女は相変わらず、ニコリともしなかった。
路上に駐車したバイクからかなり離れてしまったので、様子が気になる。もう戻らなくてはならない。彼女は私の「メルシーボクー。」の途中で、すっと手のひらを前に出す・・・・私はためらいなくCAFを手渡した。彼女の口元に始めて薄い笑みがこぼれる。それでよかったのだ。自分の中に変化が生まれたことに気がつく。ほうがいなお金を要求されるにいたらなければ、こんな小さなかけ引きも、人間的行動主義のおまけとして楽しまなくちゃいけない。アフリカってところは自然も人も自分の尺度を越えるところがいい。
幼児の頭程のマンゴを2個ひじにぶらさげて、再びフェデルブ橋を渡ろうと走り出したが、ここまできたら砂洲の端までいってみようという気になった。そして漁師の下町の路地に踏み入れた途端、失敗に気づく。アスファルトが切れ、フカフカの砂地に変わったのである。一軒の小さな家に20人以上は住んでいるスラムの路地では、子供たちがはだしでボールを蹴り、ロバがコトコトと荷を運ぶ。しかし、減速するわけにはいかないのだ。こんなところでマンゴの重みに振られながら、ゴム草履の転倒はつらい。クラクションと申し訳ないスタンディング爆走に何故か、歓喜をともなう拍手を浴びようとは・・・・・
漁港のロータリーでやっと少ないアスファルトにたどりつく。めったなところに入ってくるものではないと思いつつ、どんな大陸の先端にも人の暮らしがあるのだなと納得するのだった。宿に帰るためには、元来たスラムを引き返す砂の路地しかなく、再び子供たちの歓声を浴びたことは言うまでもない。
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