グランドサハラ エクスペディション - p7
月風かおり

【いよいよガーナへ】
翌、二十七日、今日ついに最後の国境を越える。ガーナに入るのだ。出国・入国に5時間費やす。国境ではカメラは禁止だ。どんなに興味をそそられるシーンがあっても写真を撮る事はできない。心の中でシャッターをきる。国境での人々の活気・行き交う豊富な物資・人の移動・積荷の限界を超えたバス。自転車も積む・バイクも積む・マットも積む・ニワトリも積む・ヤギも積む。乗れる所に乗れるだけ、自分の体重を支える力さえあればどこにでもぶら下がる。人の生きる活動の凄まじさ、その迫力に私は圧倒されてしまった。彼らはこの暑さなんてものともしてない。しかし私たちは今までになく皆ぐったりと暑さに耐えるのだった。暗闇の中、立ち込めたベールが、砂塵か排ガスか分からない状態でナイトランを続けガーナ北部の田舎のホテルに到着する。

あと走行する日は三日のみ、千キロをきった。年末という感じはどこにもない。曜日感覚もなくなってしまった。我々の前進している方角が真南になった。そうだ、海へ向っている。赤道に近づいているのだ。タマレから約二百キロ南下するとついにジャングル、熱帯雨林へ突入する。どういう条件下でここまで樹木が成長するのか分からない、かつ、見たことがない大木・天に突き刺さるような高木・バナナの木・アブラやしが生い茂る。ジャングルを突き抜ける一本道に深い深い緑の木々が覆いかぶさる中、私たちは南下した。小休止するとどこからともなくバナナ売りの女の子が登場する。その後、西アフリカでの最大級のマルシェがあるクマシへ入った。市街地を抜けて人と車の大渋滞の中、郊外のホテルへ移動した。とにかく排ガス規制などないから物凄い。顔中真っ黒。サハラの砂漠越えよりマスクが必要だった。

十分に体を休め、翌日仲間とホテルから歩ける距離の部落を歩いてみる。「How do you do?」がかえってくると安心する。ガーナは英語圏なのだ。朝からタロイモが売られている。女性は皆、色のおしゃれを楽しんでいる。とにかく原色の使い方がうまい。仕立て屋は男の仕事、国境の子供たちの様に物乞いはない。女性と話す時はよく髪に触られる、日本人の直毛が珍しいようだ。

私は再びミシュランの地図を広げてみた。サハラのオアシス・チュニジアのトズールでギニア湾までの道のりを思った時、計り知れない大きな不安が胸にあった。そして蜃気楼に誘われる様に砂の水平線の消失点に向ってひたすら走ってきたのだ。それは我武者羅と言うより異世界に抱かれながら確実に瞼に驚異の自然の姿を焼き付けてきたように思う。バイクの旅でしか得られない自然との対話を楽しんできた。そこには生と死もあった。

長いサヘルからサバンナを越え一気に密林へ南下し、六千キロ余り。あと一日を残して海へ出る日が来るのだ。


【ラストラン ギニア湾へ】
十二月三十日、むし暑い密林をくぐりぬけてついに私たちはギニア湾に出た。地平線は水平線へ変わった。我々はバイクを止めしばらく海風に吹かれた。誰の胸中にも遠く離れたサハラがあった。寒かった砂漠・暑かった砂漠・砂にとられたタイヤ・深い轍・誰もいなかった異世界空間・砂漠の民トウアレグ。私たちは確かに自分自身のバイクでサハラ砂漠を越え、アフリカを縦の線で割った。海から海へ、陸路の長い旅が終わったのだ。その後、ケープコーストから最終地アクラへ無事移動し過酷な道のりを共にした相棒に感謝の言葉をかけ静かにエンジンを止めた。

ガーナのホテルはプライベートビーチを持つ快適なホテルだった。私たちはサハラ砂漠縦断絶漠エクスペディション完走を祝い全員で盛り上った。
私はふと思い出す。砂漠のライディングで痛れ、汗と砂にまみれ顔も洗わず寝袋に潜り込んだ砂漠のキャンプ・硬いフランスパンとサディーンの缶詰が続いた日々・冷えていないコーラ・水が出ないシャワー。あんなに辛く不自由だった時間がこんなに懐かしく愛しく感じられるものかと・・・。私はあの熱い日々は自分がある意味アフリカの人と同じ様にあるだけの力を生きる為に使った黄金の日々だったと確信して止まない。

ギニア湾に面した海岸線は遠々にヤシの木が続いていた。



【追記】
ここまでのレポートは「大サハラ縦断エクスペディション全40日」のものです。ガーナより、トーゴ、ベナン、ニジェール、ブルキナファソ、マリ、セネガルと続くモーリタニアルートによる「西サハラ縦断コース」のレポートは現在準備中です。