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グランドサハラ エクスペディション 帰還
(セネガル〜モーリタニア〜西サハラ〜 モロッコ〜ポルトガル〜スペイン)-
p18
月風かおり
【断念・・そして最後の街マドリッドへ】
ずっと体調が回復しないでいた。あと2日走れば目的地、スペインのマドリッドに入る。
残りのこの2日は是非とも走りきりたいと思っていた。
が、昨日から今朝にかけてのニュースのトップは今年一番のヨーロッパ全土への大寒波襲来で、各地の雪の被害の様子が、刻々と映し出され微妙な状況に・・・
朝の身支度はもちろん雪だるま状態の着膨れ、このスタンバイに、キャプテンの判断はNO,であった。ポルトからサラマンカへのルートは峠の国境を越えるのだ。350キロ。完走できない・・・・・・・・
もどかしさがあった。しかし、ポルトの朝の灰色の空から冷たい霙が落ちていた。すぐさま雪に変わるだろう。
チェニスから走り続けた私が、サハラではなく、ヨーロッパで、初めてバイクをピックアップに積む。
ポルトの街を出て、60キロ南下、進路をスペインに向け、高度を上げると、折からの霙がすぐさま雪に変わり、あっという間に吹雪のワインディングの連続になる。外温は身を切る寒さだ。ほんの少し前まで、意気地なしの自分に不満足だったことが、情けない心境になる。風邪気味の体で強情を張り、メンバーの心配をよそに吹雪の中を走っていたかもしれない自分を想像すると、いかに他人の気持ちを考えない人間だっただろうか・・・と
今更ながら、キャプテンの判断は正しかったと痛感するのだった。
私は始めて車窓から遠のく風景を味わった。雪の塊が飛んでゆく・・。サハラの旅の最後に映るものは、真白い田園地帯、褐色の世界は遥か数千キロ向こうに・・・
サラマンカ(Salamanca)はしんしんとボタン雪が降り注ぐ幻想の世界にたたずむ街のようだった。プラザMAYORへ足を運び、歴史とファッションが融合した雰囲気を味わった。この街も古いものをとても大事にしている。
テレビでは雪の被害現場から、続々と報告がながれる。明日もライディングは難しいかもしれない。あともう一つ峠を越えるはずだから・・・
2/24 本当なら今日がラストラン。締めくくりの日だった。
しかし、無理だった。マドリッドまでの道は、昨日よりさらに吹雪き、まったくの銀世界、視界が遮られ、車中でさえ寒かった。いや、この車はヒーターが壊れてしまっていたのだ。サハラではオーバーヒートするため、クーラーが使えず、雪のヨーロッパではヒーターアウト。なんとエクスペディションで、サバイバルな車だろう。
砂の海でスタックを重ね、幾度となくオーバーヒートし、キャリアが落ち、燃料タンクに穴を開け、ガソリンを砂漠に撒き散らしながら走ってきたのだ。
このピックアップは、我々の食料、燃料と重い荷物、そして、大きな夢を積んで旅を共にしてきた。砂漠のド真ん中でいとも簡単に頑丈な4輪駆動にぬかされながらも、コトコトと前進してくれたのだった。そう思うとなんと愛しい箱バンだろうか・・・
サラマンカから雪の山越え、途中セゴビア(SEGOVIA)に寄り、世界遺産の水道橋を見る。道程を無駄にせず、途中下車できるところには立ち寄ってみる。
そして、午後1時、長い長いサハラ南北縦断エクスペディション終点の街、スペインのマドリッドに入った。マドリは雪も止み、太陽の光が降り注いでいた。
自分自身を燃やした旅が終わったのだ。アフリカ、サハラ、バイクと私、体力、気力、わずかな知力さえも使い果たしたグランドツーリングが・・・・・
走行距離は18000キロ。90日。
もう朝が来ても「走り出す一日」は来ない。
〜アフリカとは、地球とはなんて広いのだろう。〜
私は毎日500キロ、600キロと走った。ダートを含んで700キロの日もあった。
しかし、岩山が風化され、想像を絶する時間をかけて一粒の砂になり、その砂を風が舞い上げ、巨大な砂丘を創り出す荘厳な時の流れ、そして人知れずエルグが刻々と大地を移動する時間に比べれば、私たち人間がどんな行為をやり遂げても、大地にひざまずかねばならないほど、微力なのだった。
確固の精神力で臨む陸路の旅も、広大な大陸の空間の中では、弱々しく、這うようなものだったかもしれない。しかし、それゆえに私は広さを知ったのだ。
そしてそこには、情熱という後押しを助けに、身の程知らずの自分が確かに大地と風に交わった証があり、永遠ともいえる至福の時間があった。
忘れていた無雑な精神が甦り、私はいつの間にか自由な空間に放たれた自分に気がついた。アフリカの旅はそうだったのだ。
私は'その地'を知った。
いつの日かまた、日の出とともに出発する日を夢見て・・・
机上にサハラの砂を置き・・・
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