グランドサハラ エクスペディション 帰還
(セネガル〜モーリタニア〜西サハラ〜 モロッコ〜ポルトガル〜スペイン)- p10
月風かおり

【スタック!故障!転倒!−砂の海の難破船―】
 2/4。いよいよこのヌアクショットからサハラの核心部へ、ヌアディブを目指し、道なき砂の海岸線をゆく。目的地までの600キロは一日では走破できないため、途中、バンダラゲン国立公園のキャンプサイトを中継する予定にしている。その区間は特別な許可証が必要となるが、それは昨日中に事務所で取り付けていた。出発の朝、約束していたガイドが現れず、急きょ代役のガイドを頼むことに・・・。
ヌアディブの街から20キロで舗装路が消え、工事途中のダートに入った。ならした硬いダートにも数日で、いや数時間で砂の絨毯がひかれるだろう。風はいつも北東から吹き降ろされる。あっと言う間に単色無臭の世界がおとずれたのだ。私はあまりに砂の路面が変化し続けるので、周りを見る余裕がない。 いつものようにバイクが先、ハイエースが後のスタイルで数十キロ単位の前進を繰り返し、100キロを刻んだあたりで、大きく西へ進路を変えた。ダートは直進していくのにわざわざ外れて茫漠に旋回したのだ。急なターンでルートを読みきれなかった私は、深いギャップにはまり転倒してしまった。角度も悪く、起こせない・・・。本当にこの道でいいのか・・・!?誰もがこの事態に不安を抱いた。そこでハイエースの故障が・・応急処置後、ガイドはこの道でいいと言う。すでに砂は深い。車もバイクも突入の意志を固めて走り始めた。
ハイエースは深い砂に車腹をこすりながらスピードダウンし、スタックを繰り返した。その度に引き摺り下ろされた重いサンドマットがタイヤの下にセットされ、ドライバーの呼吸と共に脱出を助ける。他のタイヤも脱出しやすいように手と腕で砂をかくが・・どのような形にもとりつくこの砂の感触。かいても、かいても水の如く元に戻り、切っても切れない、傷さえも負わない魔物に思えてならなかった。
誰かがポツっと言った。「ここからさっきの分岐点まで戻れる?」・・・・・・さほど前進していないのだ。人間は'もしも・・・'がよぎる時は天か地の状況というが、サハラでは頻繁にこの言葉が湧き上がってくるのは自分だけだとは思わないのだった。
バイクは車のスピードダウンの度に高速で大きく蛇行し、右へ左へと車体を振った。次のステップを越えるためだけに目を凝らしていた。
・・・・サハラの砂の一粒だった。私はこの時、どうもがき苦しんでもこの広大な砂の宇宙から逃れられないのではないか、という恐ろしさをかみしめながら砂を蹴散らせていた。時おりガイドの誘導も危うかったが、アップダウンの向こうに、かすかに蜃気楼のようなブルーの稜線が浮かびはじめてきた。 風の匂いが変わる、湿った匂い・・海、海に出たのである。
我々はこの海岸線でついにバンダラゲン国立公園域に足を踏み入れた。一難去って、また一難。ハイエースが再び故障、この海岸で2時間停滞。もう焦っても仕方がない。
この国立公園は自然動物の宝庫、大西洋の荒波を避けるように、海岸線が湾曲した地形上に砂洲や中洲が点在している穏やかな内海で、野鳥や海の生物が見られる地域なのだが、不運にもこの日は一羽の飛来もなかった。ただただ、静かに打ち寄せる内海と、内陸から吹きぬけるサハラの風が悠々と流れていた。
砂の海に入ってから、ここまで、たった一台の車にしか出会っていない。この国立公園に来るために、あの深い砂の荒野を来ようとするウォッチャーがどれだけいるだろうか・・アラスカのランゲル-セントエライアスNPが空からしかその全貌をみることができないほど人間を寄せ付けない山麓氷河なら、このバンダラゲンNPはサハラの砂の海を越えてこそたどり着ける自然保護区ということだ。アクセスが困難なほど、そのままの姿が守られる、ということでもある。
この先のキャンプサイトまでまだ20キロ以上あるだろう。炎天下、メカニックの知恵と努力でハイエースは復活を果たし、砂洲の突端、MamgharのNPビジターセンターにたどり着いた。出迎えたのは鯨の骨。ここにも小さな村があるようだ。早速テントがあるサイトへ案内してもらうことに・・・
久しぶりの野営である。国立公園のキャンプ場とは名ばかりで、海岸の砂地に流木で囲いをしただけのスペースに布の天幕が大小2つ設営されているだけ。あとはなにも無い、究極のNPキャンプサイトだ。 昼間の快晴を思うと、今夜の天体ショーが待ち遠しかった。
まずは自炊の準備である。近くの小さな村まで魚を買いに行くと、早朝捕れた体調50センチほどの白身魚をどうかと勧められる。OK!
一軒の家の軒先でさばいてもらうことになった。しかし、なんとアバウトなのだろうか。日本人の感覚で言うと、切れないくだものナイフで大きな鯛をさばく、そんな作業、'さきむしり方法'で解体されるのだ。ナイフが入らない硬い時は、叩き切り・・・・大胆は無敵!をまたしてもアフリカで勉強してしまった。
テントに戻り、ムニエル風に揚げ、醤油でいただく。今日は特に美味しい。
太陽が水平線に落ちようとしていた。私は子供のように波打ち際まで走った。ただ、ただ、それに間に合わなくては大変だ、という気持ちだった。
私は内陸で見た、真っ赤に燃えるような太陽を期待していたのだ。しかし、海に帰っていくようなその太陽は愛しいくらいに遠く、紅のその色は懐かしい日本の黄昏に似ていた。柔らかい残照が波の起伏で遊びながら刻々と色を変え、空に舞い上がる砂の粒子が茜色に灰色のベールを被せながら、雲の裏側まで染め上げてゆく。この瞬間にするべきことは、ただ、それを見とどけることで十分だった。そのこと以外になにもなかった。
そして、ついに輪郭を溶かしながら水平線に消えた太陽の替わりに、闇の支配者が輝き始めた。サハラの最西端、ここから始まる5000キロの茫漠。1974年にたった一人で駱駝によるサハラ砂漠横断をこころみた『サハラに死す』の主人公、上温湯隆さんも、ヌアクショットで駱駝を買い、このモーリタニアのサハラから遥か内陸へ臨んだ。
私は常設の天幕から離れてあえて自分のテントを張った。闇夜にさんざめく星。内陸とは違う、潮騒さえも感じるサハラは、このモーリタニアの海岸線だけだろう。昼間のライディングがもたらした興奮と、砂漠の露宿もここで最後かもしれないという思いで目がさえ、長く星屑を仰いでいたが、いつのまにか眠りについてしまった。